あけまして

2010/01/07

あけまして、おめでとうございます。寅の年もよろしくお願いいたします。

私はオーストラリアに戻らずに日本の年末年始は友達の実家で過ごしました。31日の深夜に近所のお寺で初詣をして、甘酒を飲んで、鐘をつきました。お正月の朝に初めておせち料理をいただきました。おいしかったです。そしてもう一度出かけて、今度は熱田神宮に行きました。当日の熱田神宮には大勢の人がいました。神宮の奥で参拝しました。おみくじを引いて、破魔矢を買って帰りました。

では、ここでオーストラリアのお正月を少し紹介したいと思います。

オーストラリアのお正月というと、まず深夜にカウントダウンして、そして花火です。シドニーの港で打ち上げられる新年の花火は世界的に有名で今年も150万人参加しました。若者はお酒を飲みながら朝までパーティーをします。元旦の朝食は別に特別な料理がないですが、昼食は屋外でバーベキューをする家族が多いです。バーベキューをしながら、バックヤードクリケット(裏庭で遊ぶクリケット)を楽しむ家庭もあります。これはオーストラリアのお正月は北半球にある日本を違って夏にあるからです。さらに、オーストラリアは多文化の国だから、それぞれの民族習慣によって、過ごし方もそれぞれ違います。たとえば、私のような香港系家族にとって、西暦新年よりも大事なのは旧暦新年(中国の旧正月)です。赤いものを屋内と屋外に飾って、赤い衣装を着て、親戚と一緒ににぎやかに楽しく過ごします。私も香港から移民する前は確かにそう過ごしましたでしたが、現在オーストラリアに親戚が住んでいないから、香港式のお正月はできないからちょっとさびしいです。

ちなみに、数日前に友達の家にいた時にいただいた数の子をスーパーで見かけました。1パックは3000円ぐらい、それもお買い得パック。「えー!そんなに高いものを食べちゃったの?!」と思いました。

ウィキペディアが提供するシドニー港新年花火の写真

遅れた挨拶ですが、はじめまして!

2009/12/04

はじめまして、オーストラリアから来た新しい国際交流員のラウプイキです。新しいと言っても一宮に住み始めてから3ヶ月たちました。本当に遅れた挨拶ですね。初ポストだから、もうちょっと自己紹介します。私の名前だけを見ると、オーストラリア人だと思わないかもしれません。実際は香港で生まれましたが、小さい頃に家族と一緒にオーストラリアに移民しました。前の国際交流員イヴォンと違って、英語の名前を付けていません。

高校一年生から大学まで日本語を勉強しました。四年前に留学生として日本に来ました。やはり日本のことと日本語に興味を持ったため、今回はまたいろいろ勉強しに来日しました。

日本には素晴らしいことがたくさんあります。しかし、この世のすべてのように両面を持っています。これから在日外国人の立場で一宮から日本のいいところと頑張らないといけないところを気軽に書いていきたいと思います。皆さん、どうぞよろしくお願いします。

プイキの手作りホームページこちらへ

さようなら!

2009/07/28

138cirこれは、イヴォンとビョ-ンの最終のニュースレターになると思います。
8月に、私たちが一宮市を出て、カナダまたはドイツに帰国します。
6月28日に、一宮市国際交流協会のボランティア-の皆さんが私たちのために、信じられないほどの素晴らしい送別会を行っていただいて、このたびは、もう一度感謝を伝えたいです。送別会では、本当に感動しました!いろいろお世話になりました。
7月はかなり送別会の時期でした。9日に、一宮市生教育文化部涯学習課の上司や同僚の皆さんも記憶に残る、素晴らしいコスプレー送別会を行っていただきました。ガンダムやエヴァなどのキャラクターの格好をしたり、美味しい料理を食べたり、写真を撮ったりして、楽しい時間を過ごせました。本当に、ありがとうございました!

今月末または来月から私たちの後任者が一宮市に到着します。アメリカ人のレーベンとオーストラリア人のプイ キです!私たちと同じような暖かく歓迎してください!

お世話になりました!
では、帰国しても、これからも宜しくお願い致します!
― イヴォンとビョ-ン

Junges Deutschland – ヤングジャーマニ-

2009/07/28

yg_japanドイツに関心を持つ若者のために、ドイツの外務省と日本でのドイツ大使館が新しいホームページを設備しました:Young Germany(若いドイツ)。そのホームページでは、ドイツの「アートとカルチャー」(芸術と文化)や「トレンドとライフスタイル」(環境にやさしく、自分に楽しい暮らし方を含む)が紹介され、日独関係についての情報をたくさんあります。
ドイツに留学したい方、またはドイツで働きたい方のための「スタディとキャリア」というセクションもあります。大学生活、奨学金やインターンシップ等の情報を得、ドイツに留学した体験者の文章を読むことができます。
皆さん、ぜひ一度ご覧下さい!

- ビョ-ン

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Die deutsche Schule – ドイツの教育制度

2009/06/23

ドイツ教育制度

ドイツ教育制度 ©2009 Björn-Ole Kamm

6月に行われた、一宮市国際交流協会主催の「ドイツ理解・ディスカッションセミナー」のセッションのテーマはドイツの教育制度と若者文化でした。参加者は、今回のニュースレターのトピックをご存知だと思いますが、教育に関心を持つ方が少なくないようであるため、あらためてドイツの教育制度を紹介したいと思います。
ドイツの学校制度はアメリカ・イギリスや日本での6・3・3制度とかなり異なっております。一つの大きな違いは、画一的なドイツ教育制度が存在していません。ドイツでは、教育は文化の一部と思われ、文化に関しての立法権が連邦ではなく、州に置いてあります。それゆえ、ドイツの教育制度は州によって少し異なっています。
日本と同じように、ドイツの子供たちが6歳の時に、入学し、4年間小学校で勉強します。小学校はドイツ語でGrundschule(グルンドシューレ)、すなわち基礎学校と称され、ドイツ語、算数等の基本的な教育が主眼点です。
ドイツでは、中学校と高校の区別がなく、基礎学校の卒業後に進学する学校は、生徒の才能に合わせた三つの種類があります。基礎学校の教師に課せられた課題は、生徒を観察し、生徒の能力・才能・態度や学習欲に合わせて進路を決定することです。教師がこの決定で失敗する場合もあり、生徒の学習欲が進学してからかわる可能性もありますから、5・6年生の段階で能力をもう一度観察し、学校の種類の変更を勧めるためのオリエンテーション段階のある州もあります。
基礎学校の後にくる学校は、5年間のHauptschule(ハウプトシューレ、基幹学校、15歳で卒業)、6年間のRealschule(レアールシューレ、実科学校、16歳で卒業)と8または9年間のGymnasium(ギムナジウム、18か19歳で卒業)であり、それぞれの学習内容や卒業後の進路が異なります。基幹学校では、卒業後、職人や会社の下で訓練を受けながら、職業学校で学びます。ドイツでは、職場と同時に学校でも訓練するという二元職業教育制度をとるのは特徴です。実科学校では、卒業後、中級卒業資格を得て、特殊な職業専門学校または専門上級学校を進んで、企業の管理事務職員または商売・サービス産業の従事者になることを目指します。「大学入学資格(アビトゥア)試験」というギムナジウムの卒業試験に合格すると、大学のいろいろな学科に進学ができますが、ギムナジウムの卒業生の中に、職業専門学校に進む人も少なくないです。
ドイツのギムナジウム等の高等学校では、語学・理科や社会の教科があり、特に歴史・政治についてや自然科学についての教育は重視されています。前に述べた基幹学校の生徒は英語を、実科学校生は英語とフランス語を勉強しますが、ギムナジウムの学生は、二つから四つの外国語を学びます。学習外国語は、英語、フランス語、スペイン語やラテン語が多いです。ラテン語以外の語学授業は、できるかぎり早い段階その言語で実施されています(例えば、高等学校の4年(~日本中2)からの英語の授業は英語で行われています)。ドイツでの教育、特にギムナジウムの教育の目標は、教師が授業で説明する内容の暗記よりも、その出来事または現象の脈絡を理解することと教師の言うことに対しての議論できる能力です。ギムナジウムは大学の予備段階として見なされているから、自分で調べる勉強方法や自分の意見を表現できる討論能力が重視されています。
さて、高等教育の次は、大学教育についてですが、ドイツの大学の中には、研究所や研究者の教育場として構造されている総合大学(Universität)やある専門分野に特化している(芸術)専門大学(Kunst- und Fachhochschule)があります。専門大学は、総合大学より具体的な勉強を重視し、学生は3年後卒業し、「学士」という学位を得ます。2004年まで、総合大学では「学士」がなく、全員の学生は「修士」を目指し、5・6年間勉強しました。2004・5年度に、総合大学改革が行われ、現在は総合大学でも3年の「学士」や2年の「修士」の制度が一般になりました。
ドイツの教育制度は他の国と比べると、厳しいと思う人もおり、進学決定制度が社会的に不公平だと考えられています。例えば、成績が良くなかったら、小学生でも同じ学年を繰り返し履修しなければならないし(原級留置)、親の社会経済的な地位(仕事の威信、給料等)が子供の進路に強い影響を与えていることが色々な調査で明らかになりました。不公平への対策(例えば、5時まで働いている社会人のための夜間ギムナジウム)がありますが、原級留置の制度を廃止しようとする政治家がいません。
日本では、高校まで留年をすることがないですが、皆さんは小・中学校での留年についてどう思いますでしょうか。

- ビョ-ン

Joseph Beuys – ヨセフ・ボイスについて

2009/05/25

ヨセフ・ボイス

ヨセフ・ボイス

日本でドイツの環境政策への関心はやっぱり大きいようです。5月22日に開催された一宮国際交流会のドイツセミナーの“序曲”でも、このテーマが話題になりました。それゆえに、今月のニュースレッターのテーマとしてまた環境保護について書きたいと思っています - が、今回は少し意外な面からこのテーマに近づこうと思います。
 環境保護を1970年代から問題化し、ドイツの大衆政党の政策プログラムに強い影響を与えた“緑の党”(Die Grünen)はご存知の方が数多くいらっしゃると思います。
 今回は、この“緑の党”そのものではなく、この政党の創立委員の一人、批判的アクション芸術家・パフォーマンスアーティストのヨセフ・ボイス(Joseph Beuys)を紹介したいと思います。
ヨセフ・ボイスは1921年クレーフェルト生まれ、1986年にデュッセルドルフで死去。残念ながら、私は出会ったことがありませんが、幸運なことに、彼の生徒に美術について教えてもらう機会がありました。ボイスは「ドイツのアンディ・ウォーホール」だといえますが、ボイスのアートは簡単に説明できませんが、“変化・変身”は彼の芸術の一番大切な要素だそうです。ボイスのアート、インスタレーションまた、政治・社会活動は彼の持った広く完全な人智学的な芸術概念という「社会の彫刻」の表現だといえます。「社会の彫刻」の意味は、芸術は造形力のあるエネルギーによって、社会を変えることができるということです。ボイスの政治活動の目標は、教育政治の変化、直接的な民主主義と環境保護でした。たとえば、森林の維持の緊要を強調するため、1982年のドクメンタ(現代美術の展)で「7000本のオーク:町の管理のかわりに町の造林」というスロガンのアート・イベントを行いました。その上、1979年に緑の党の前身である“緑のリスト”の候補者として欧州連合議会選挙に出馬し、1980年の“緑の党”の創立大会に参加し、緑の党の色々なポスター作ったり、キャンペーン活動を行ったりしました。このような活動を行ったのですが、政党の中では彼の主張が全て受け入られたわけではありませんでした。彼の晩年は、個人の社会活動組織のためのたくさんの展示会などで忙しく過ごしました。現在も、彼の生徒たちはボイスの意思を引き継ぎ、活動を続けています。
 芸術と学問と政治は結びついていることを皆に示して、考えさせたボイスは、20世紀の最も著名な芸術家の一人といえうるでしょう。1984年には、彼自身が東京に来て、2005年には「日本におけるドイツ年」に関連してボイス展示会が日本で開かれました。

- ビョ-ン

ドイツ:グリム童話

2009/04/14

グリム兄弟

グリム兄弟


 『ももたろう』『かちかち山』『雪女』などの日本の昔話と同じようにドイツでも民話があります:『ラプンツェル』『白雪姫』・・・。19世紀にヤーコプとヴィルヘルム・グリムという兄弟がそのドイツの昔話を収集し、童話集として編集しました。それは、『Kinder und Hausmärchen』(キンダー ウント ハオスメルヒェン;1812年出版)、すなわち『児童と家庭の童話』でした。他の童話集もありましたが、この現在『グリム童話』と呼ばれるようになり、世界一番有名になりました。
 子供の教育に関心を持ったヴィルヘルム・グリムが19世紀の倫理に合わせて民話を書き直しました。例えば、18世紀の赤ずきんはグリムのバージョンより暗く、ハッピーエンドのないバージョンもあり、男性猟人が助けに来ない、赤ずきんが自分で狼から逃げるバージョンもあります。
 明治時代の知識人も教育や倫理に関心持ち、グリム童話における教訓を日本の子供たちに伝えようとし、グリム童話を輸入と和訳しました。これにより日本においてもグリム童話が日本人に広く知れわたることになりました。
 現在の日本では和訳だけではなく、グリム漫画版もあります。グリム童話が日本に紹介されたほぼ100年後、日本の漫画がドイツでブームになりました。最近ドイツ人の漫画家も増えています。その一人が2007年に『Grimms Manga』(グリムの漫画)を描き、出版しました。このグリム漫画はグロバル化の面白い結果だといえますね。
 ドイツでのconnichiというアニメ・マンガ・フェアーはグリム漫画コンテストがあります。日本人も参加ができますから、興味を持ってる方は是非童話の漫画を描いてみてください。

- ビョーン

ドイツ:環境ゾーンって?

2009/02/28
緑色のステッカーの例

緑色のステッカーの例

ドイツでの環境政策に関心を持つ人が多いようですので、今回もその一つを紹介したいと思います。

2008年からドイツの大都市はUmweltzone(ウンヴェルツォーネ)があります。日本語に訳すと「環境ゾーン」になります。

浮遊粒子状物質(大気汚染物質のひとつ、例えば、ディーゼルとガソリンによる排ガス)は大都市に住んでいる人々の健康にとって危険な存在です。世界保健機関(WHO)により、毎年37万人がこの浮遊粒子状物質の影響で死亡してしまいます(肺癌、心筋梗塞など)。この浮遊粒子状物質の負荷低減のために、ベルリン、ブレーメン、ケルン等のドイツの大都市は環境ゾーンを設定しています。他の欧州の国にもこの様な制度があります。この環境ゾーンでは、一定の環境基準を満たさない自動車の市街地への進入を規制します。例えば、ベルリンでは、2008年1月1日から、当該自動車が満たしている排気ガス基準によって、赤色、黄色または緑色のいずれかのステッカーを表示していなければ、ベルリン市街地の通行ができないようになりました。その上、2010年1月1日以降は、緑色のステッカーを表示している自動車のみが通行可能となります。

そのステッカーを買うのには、5ユーロから15ユーロ(600円~1,800)の費用が必要ですが、ステッカーがあれば、環境ゾーンを設定している各都市で使えます。

三元触媒(排ガスの浄化装置)を利用していないまたは古いディーゼル自動車は、そのステッカーの対象にならないため、もう環境ゾーンに通行できません。一番最近の世代の触媒を持つ自動車やCNG(天然ガス)車等は緑色のステッカーを適用します。

ステッカーを入手せず環境ゾーンを通行したら、40ユーロ(4,800)の罰金を払わなければなりません。

環境ゾーンはとってもいいことだと思いますが、浮遊粒子状物質減少という目的にはあまら役に立ってないという批判もあります。減少率は23パーセントしか得なく、官僚的なコストは大変だと言われます。

皆さんは、この様な環境ゾーン制度についてどう風に考えますか。日本にもちょうした制度があるのでしょうか。

 

 

– ビョーン

 

ドイツ:“Pfand”(プファンド)って何?

2009/01/22

pfand2日本では、「ゴミの分別王国ドイツ」というイメージがあるようです。6070年代に“環境にやさしい”というキャッチフレーズがカナダ発祥の環境団体であるグリーンピースで作り出され、環境破壊に対する配慮が各先進国で上がりました。ドイツでは、こうした環境意識は緑の党が政策としてかかげ、8090年代に社会民主党(SPD)とキリスト教民主同盟(CDU)という大衆政党に波紋のように広がりました(環境政策に関しての意識が増えてきたので、選挙で小さな緑の党に負けたくなかったという)。それで、ドイツは分別技術を含めて色々な政策で進歩し、世界中有名になりました。

このドイツの環境政策について日本人に聞かれることが多いです。たくさんの人が持つイメージは、ドイツでは一つのゴミ処理・分別制度があることです。しかし、ドイツは日本と異なって、中央集権国家ではなく連邦国家です(ドイツ連邦共和国)。連邦の基本法(憲法)がありますが、文化・教育等に関しての政策権はドイツの16ヵ州の政府においてあります。ゴミの分別・処理は文化だそうです。したがって、ゴミの処理制度は州によって、たまに都市によって異なります。

ドイツ全国一緒のは、“Pfand”(プファンド)の制度です。プファンドというのはビン代などの預り金です。ドイツでは、ビンだけではなく、ペットボットルも“ボトル代”があります。例えば、1.5リットルのコーラを買う時は、そのコーラの代金2ユーロ(約250円)だけではなく、その上25セント(30円)を預り金として払わなければなりません。空きビンまたはペットボトルを返せば払い戻してもらえます。普通のペットボトルのプファンドは25セントであり、ビールのビンは8セントです。

プファンド制度の目的は、そのビンやボトルをリサイクルしなくても、繰り返して使えるようになることです。返したボトルは、工場で洗ってから、また詰めて市場に出されています。ビンもそうです。日本では、これに似た制度もあるそうですが、ビンのみです。

2006年までこのプファンド制度は“繰り返し回収して利用するビン”のみでした。缶や“使い捨てビン”のプファンドは店によって異なりました。20061月からこの“缶プファンド”も統一され、缶などはどこの店でも返せるようになりました。

こうしたプファンド制度はスウェーデン、スイスなどにもあります。もっと世界的に広めたら、皆さんはどう思っていますか。

 

— ビョーン

一宮市国際交流員のニュースレター(138国際誌)へようこそ

2009/01/22

2009年、明けましておめでとうございます!

一宮市の国際交流員のイヴォン(カナダ)とビョーン(ドイツ)です。国際交流や国際理解に関心を持つ方のために、今年の1月からこの『138国際誌』を広報したいと思っております。毎月、自分の国の事情・面白い習慣と話または伝統を皆さんに紹介します。感想または意見を伝えたい方は、是非コメント機能を使ってみてくださいね!

では、よろしくお願いします。